江戸時代、参勤交代で地方から江戸に赴任するとなぜか体調が悪くなることが知られていました。これは江戸煩いと言われ、症状としては、全身倦怠感、食欲不振、手足のむくみや痛みがあり、ひどい場合には心不全から死亡に至ることもあったようです。
この江戸煩いは、明治に入ると「脚気」という病名がつき、さらに広がりを見せました。明治時代の文明開花の波は、人々の食生活にも大きな影響があったようで、それまでは、玄米や麦飯中心の食生活から白米中心の食生活へと変わったことが、明治時代に脚気の大流行が起きた原因とされています。
一説によれば、日露戦争(1904-05)では、銃弾に当たって死ぬ兵隊よりも脚気で死んだ兵士の方が多かったとも言われています。しかしこの現象は陸軍にのみおきたものであり、麦飯を中心とした栄養食を推奨していた海軍では起きなかったこともあり、食事に含まれる栄養素と脚気との関係が注目されるようになったと言われています。
こうした時代背景もあり、1910年に日本の農学者、鈴木梅太郎博士は糠の中にある成分が脚気の症状を緩和することに注目し、この成分を「アベリ酸」と命名し、後にオリザニンとしました。1911年に発表した論文「糠中の一有効成分に就いて」を見ると、当時の栄養学に対する研究の大変さがよくわかります。実験用動物として、鶏を扱い、餌として白米だけを与えていると、2〜3週間で鶏が痩せ細り今にも死にそうになってしまう現象を見つけています。この状態の鶏に糠や麦、豆などを与えると健康状態が回復することから、糠に含まれる栄養成分に重要なものがあるに違いないということで、オリザニンの発見に至っています。
オリザニンは世界初の栄養成分の発見でしたが、ドイツ語で翻訳された論文にこの点が明らかにされていなかったために、同様の研究をしていたポーランドの生化学者であるカシミール・フンクによる「ビタミン」という名称が1912年に採用されています。
1926年には、アベリ酸(オリザニン)と同じ成分が、オランダの学者、バレンド・ヤンセンとウィレム・ドナスらによって、ハトの多発性神経炎を治す物質として単離、結晶化され、1934年には、その構造式が米国のウィリアムスらによって明らかにされています。Thiamine (チアミン)という名称は、ウィリアムスらによるものとされています。
本日はビタミンB1のお話でしたが、当たり前のように使っているビタミン剤も、その歴史を辿れば100年以上の歴史があるだけでなく、多くの先輩たちの探究努力の成果であることを思わざるを得ません。その昔、アイザック・ニュートンの手紙に記された、「Stand on the shoulders of Giants」という言葉が有名ですが、我々はまさに、過去の巨人たちの肩の上から未来を見ているのだと思います。